明和年間(1764~1771)の作庭と伝えられています。
主屋の北側にあり北東隅に枯滝を組み、石組みは西に連なっています。
背後に築山風の大刈込み、外側に生垣がめぐり東北部は高さ4mに達します。
母ヶ岳の優雅な姿を取り入れた借景園。北側の隅には石組みを設けて主峯とし、イヌマキの生垣は母ヶ岳の分脈をかたどっています。また、どこを切り取っても一つの庭園を形づくり、調和と表現にすぐれた庭園として絶賛されています。大海原には無人島が浮かび、遠くには緑の大陸が望まれ、想像とロマンの世界で楽しめる庭園です。
【庭園を出るときに】
武家屋敷の門を入ると、必ず左か右のどちらかに厠がありました。これには いろいろ説がありまして、家人が出かけるときや帰ってきたときに用を足すためのものとか、来客用のものとか言われておりますが、一説には日長ここに座っていて往来を行き来する人々の声に耳を傾けて、情報を得るという役目もあったといわれています。